アカウント管理をしっかりと
アカウントを乗っ取られるのは死ぬのと同じ
最近は、ちょっと沈静化しましたが、乗っ取られたLINEアカウントを使った詐欺事件がありましたね。
これは、自分のメールアドレスとパスワードがどこからか流出し、それが使われたために、乗っ取られてしまったのです。
アカウントとは、ネット上の「自分」、あるいは「人格」ですね。それが、他人に乗っ取られ、意図しない行動を取る、そして最後には削除されてしまう…それは人格の破壊であり、痕跡や歴史、思い出の消滅…死にも等しい残酷な状態と言えます。
想像してみてください。
自分のTwitterも、Facebookも、Gmailも、iCloudも、Dropboxも他人に乗っ取られ、過去の自分の痕跡が何もかも消えてしまった時のことを…。
何としてでも、そうした状態は避けなければなりません。
パスワード作成の原則
それには、アカウント管理をしっかりとする必要があります。
ゼミでは、さまざまなWebサービスを使ってもらうことになりますので、なおさらです。
もし、以下のランキングに載っているような「最悪なパスワード」を使っているようなら、すぐに改善が必要です。
パスワードを作成する際には、以下の原則を守りながら、作るようにします。
- 辞書に載っていない文字列にする
- アルファベットと数字を(可能であれば記号も)混在させる
- 十分に長い文字列にする
- サイトごとに違うパスワードにする
- メモに残さず暗記する
特に乗っ取られるのを回避するためには、4に挙げた、同じパスワードを使い回さないことが非常に重要です。
パスワード作成の具体例
前項の原則を守った堅牢なパスワードをどのように作るか、具体例を紹介しましょう。
(1)絶対に忘れないフレーズを思い浮かべる
絶対に忘れないフレーズ、たとえば、歌の一節や、一発ギャグなどを思い浮かべます。ある程度の長さの日本語が望ましいです。例は2つ挙げていますが、1つで構いません。
歌の一節→「上を向いて歩こう」
一発ギャグ→「おっきくなっちゃった」
(2) そのフレーズをローマ字化する
前項のフレーズをローマ字化します。日本語が元になっていると、ローマ字化した文字列は、乗っ取り犯が総当たりパスワードに使う辞書にまず載っていない単語になるでしょう。しかし、これではまだ使い勝手が悪く、不十分です。
上を向いて歩こう→uewomuitearukou
おっきくなっちゃった→okkikunacchatta
(3)その文字列を間引きながら一部を数字に置き換える
前項の文字列のところどころ(たとえば母音など)を間引きます。また、年号の語呂合わせの要領で一部を数字に置き換えます(ひ→1、ふ→2、み→3など)。さらに、アルファベットを似た形の数字に置き換えます(l→1、z→2、m→3など)。8文字程度に短縮しましょう。これがマスターパワードになります。
ueomuitearukou→u0m1tar5
okkikunacchatta→0k199cta
(4)間引いた文字列にログインする先の情報を加える
前項で作ったパスワードは、確かに、破られにくいものになりますが、使い回してしまっては意味がありません。そこで、ログインする先の情報を加え、ユニークパスワードにします。情報を加えるのは、先頭、中間、末尾、どこでも構いません。ただ、サイトによっては、定期的なパスワードの変更を求められます。その際、ここに挙げた手順を(1)から繰り返して、その都度、新しいパスワードを作ってしまうとと混乱の元になりがちです。この場合、ログイン先の挿入位置を変えて対応していきます。
u0m1t(中間:ログイン先)ar5→u0m1ttwitterar5
0k199cta(末尾:ログイン先)→0k199ctafacebook
パスワードを忘れない
作ったパスワードを忘れない…どのサイトでどのパスワードかをしっかり記憶しておく…というのは、理想ではありますが、難しいかもしれませんね。
最後に、そんな時のためのお助けサービスを、いくつか紹介しておきましょう。
今日のToDo
□堅牢なマスターパスワードを作成する
□Twitter、Facebook、Google、iCloud、Dropboxなど、それぞれの別々なユニークなパスワードに変更する
読書はソーシャルに
何の本を読むかが重要
本を読めば成長できる…とはいえ、どんな本でも良いかといえば、そんなことはないですね。時間も限られているし。
「本棚を見ればその人がわかる」と言いますが、裏を返せば、人というのは、その人がそれまで読んだ本によってできているということです。
身体を作る料理に、味わう側面と、栄養を取る側面があるように、心を作る読書にも、味わう側面と、栄養を取る側面があります。味わう読書は、個人の好みで自由にやって良いと思います。しかし、栄養を取る読書は、少し慎重になるべきです。
せっかく時間を使って本を読むなら、内容が自分の目指している方向のものが良いですし、難易度が自分にあっている方が助かりますし、感想も「面白かったー」となるのが嬉しいですよね。そうでないと、時間の無駄どころか、自分にとって害悪にすらなってしまいます。
つまり、何の本を読むかは、決定的に重要、ということです。
読むべき本を知るには
ファッションに、カジュアルなTシャツからフォーマルなモーニングコートまで段階があるように、本にもレベルがあります。本のレベルとは、語り口ではなく、内容がどれだけ検証されているかによって変わるものです。
高いレベルの本には、必ず、引用の出所や参考文献が細かく明示されています。中学生向け、子ども向けであっても「読書案内」などの体裁で書かれている場合もありますが、高いレベルの本は、やはり引用の出所や参考文献が明示されているでしょう。
ですから、「栄養」になる本を探すみなさんが心がけるべきは、まず1点。読もうかなと本を手に取ったら、パラパラとめくってみて、引用の出所や参考文献がきちんと書かれているか、という点です。
そして、その次の2点めに、出所や参考として挙がっている本がどの程度のものかという点です。極端に数が少なかったり、多くとも胡散臭い本ばかりが挙がっているようならその本も微妙ということになります。
これらの点がクリアできたなら、とりあえず、その本は「読んでも良い本」となります。全部読む必要はありません。目次を参考にしながら、パラパラと読んでみて、興味をひく内容で、難しくなく、面白く読めたのだったら、その本の出所や参考に挙がっている本を含めて、晴れて「読むべき本」ということになります。
棚が作られている本屋に行こう
イマドキは、本はAmazonで買うのが、デフォルトだと思います。私はなるべくKindle版で欲しいので特にそう思っています。
ただ、前述のチェック作業は電子版のサンプルではやりづらいです。そもそも電子版がない本も多いです。ですから、本屋へ行くことが必須になります。
本屋は、いわゆる「棚が作られている本屋」へ行きましょう。
「棚が作られている本屋」とは、目利きの書店員がいて、並べる本をきちんとセレクトしている本屋のことです。DIYで本棚を作っているところというわけではないです…って、言うまでもないか(笑)
本屋のスペースは限られていますから、そこにどういう本を置くかというのは、書店員の見識に掛かっているわけです。毎日、何百、何千という本が発行・発売され、書店に送られてきて、その全部を並べておけるわけではありませんからね。
もし、池袋へ行く機会があったら、ヤマダ電機の中のブックコーナーと西武百貨店の地下の三省堂(元、リブロがあったところ)を比較して見ると一目瞭然でしょう。売場の面積に大差はないですが、並んでいる本のレベルの違いは歴然です。ヤマダ電機のブックコーナーは、悲しいかな「電器屋のオマケ」です。コンビニの雑誌コーナーを大きくしたような品揃えとも言えます。もったいないですね。ロケーションは良いのですし、一頃に比べて池袋の本屋は激減しましたから、本気を出してきちんと棚を作れば、そこを目指して人が集まってくるでしょうに…。アキバヨドバシマルチメディア館のブックコーナーは、(上階の有隣堂と区別して)理工書に特化してきちんと本棚が作られているだけに、やる気のなさは際立ってますね。
そんなわけで、 みなさんの行動圏の中で、棚がきちんと作られている本屋を探してください。参考までに、私がよく行くのは、以下のお店です。並べてみたら、単に大規模店でした(笑)
アプリ/Webサービスを使おう
さて、「読むべき本」はわかったとして、それがそのまま「買って手元に置いて読むべき本」とは言えないですね。時間以上に買うためのお金と、置いておくための空間は限られていますから*1。
そこで、書店では、本のタイトルをメモしておくだけに留め、後で時間がある時に、ネットでその評判を調べたり、図書館に入っていないか調べたりという一手間を掛けることになります。
ここでも、Amazonは第一選択肢になると思いますが…読書記録サービスを使うことをオススメします。代表的なものは、以下のアプリ/Webサービスになります。
一長一短あるので、自分の感覚に合うもので良いでしょう。
参考までに私の記録は以下のとおり。今、使っているのはブクログだけですが…。
ソーシャルに読書をすると楽しくなる
読書記録サービスを使うと、本の評判を確認できるほか、バーコードで簡単に記録を残せたり、自分と本の好みが似ている人を見つけることができたりします。
この「自分と本の好みが似ている人」を見つけることが大事です。
そしてその人が読んでいる感想を継続的にフォローし、また、読むべき本、買って手元に置くべき本を見つけていく*2ことによって、みんなの読書は楽しくなり、加速するはずです。
今日のToDo
□読書記録サービスを始める
□行動圏の中で本棚が作られている書店を探す
自分で自分を成長させる2つの手段
読書と手帳を習慣にしましょうよ
みんなにも、それぞれ、理想としているゴール・夢があるでしょう。
そのゴール・夢にたどり着くためのきっかけづくりなり、モチベーションアップなり、技術の習得なりをゼミでやれればな…と思っています。
しかし、結局、ゼミでできることには、限界があります。
だから、みんなには、自分で自分を成長させてもらうしかないのです。
自分で自分を成長させて、ゴールに向かって進む人が必ずやっている(はずの)ことが、2つあります。なんでしょう…それは、読書と手帳です。
読書で年収が決まるんだってさ
濱中淳子が書いた『検証・学歴の効用』という本があります。
さまざまな学歴の人の年収を長年に渡って追跡調査をしたものです。誤解を恐れずに、内容を思い切り簡略化して要約すると…
- 高卒と大卒では年収に差がある
- 一流大卒と三流大卒で、年収には大きな差がない
- 年収を分けるのは、読書習慣・時間である
…ということでした。
大学で勉強できること、授業で習うことは、たかが知れている。1コマの授業を半期15回やったところで、強化書・専門書1冊に及ばない。ならば、自分でどんどん本を読んだ方が、効率よく身につくじゃないですか。
知識が無いよりは、ある方が良いに決まってます。「知恵と力は嵩張らない」のです。ネットで簡単に手に入る知識より、お金を払わなければ入手できない、現物を手にしなければ見ることができない、本で得られる知識の方が貴重です。貴重な知識を持っている人間もまた貴重。そういう人間の方が重宝され、高い報酬を得るのもまた当然ではありませんか。
何の本でも良いということはありません。ブックオフの店頭で100円で売られている本より、大学図書館にある本の方が一旦フィルタが掛かって選ばれている分だけ、得られる知識の質は高いはずです。大学図書館を活用しましょうよ。そして、希少価値のある人間になっていきましょう。
手帳は心の鏡
そして、手帳です。手帳は「心の鏡」です。
みんなは朝起きたら鏡を見るでしょう。外出前にも鏡を見るでしょうし、トイレの後にも鏡を見るでしょう。一日に何度も鏡を見て、自分の外見や顔色を確認するはずです。「寝ぐせが付いてないかな」「鼻毛が伸びてないかな」「顔色が悪くないかな」「服のコーディネートはこれでいいかな」…鏡を見て、身だしなみを整えるでしょう。鏡を見ることで、安心して外に出られるじゃないですか。
外見に気を配るのと同じくらい、内面にも気を配る必要があると思いませんか。その「心」で大丈夫ですか? その「精神」で大丈夫ですか? その「意思」で大丈夫ですか? その「感情」で大丈夫ですか? 鏡に外見を映して確認するように、手帳に内面を映して確認しましょう。
そうすれば、必ず、納得がいく方向に自分を手帳が導いてくれるはずです。
手帳で夢をかなえる
インターネット関連のビジネスを手広くやっているGMOというグループがあります。
その社長・グループ代表は、1963年生まれの熊谷正寿という人です。10代の彼は高校を中退、早々に妻子持ちとなり、家業のパチンコ店を手伝うという状況に陥ります。そこから10数年、起業した会社を35歳1か月で上場させました。学生のみなさんにはピンとこないかもしれませんが、これは、驚異的なことです。少なくとも1990年代の『常識』からはかけ離れた偉業だったと言って良いでしょう。
彼が、その成功の秘訣について書いた本が2004年に出版され、当時、ちょっとしたセンセーションを興しました。
タイトルを『一冊の手帳で夢は必ずかなう』と言います。
その内容を一言で表すと「生き方の管理を手帳でやる」ということに尽きます。
夢を手帳書く、手帳を肌身離さず持ち歩き、手帳を読み返す…そういうシンプルな方法です。
Kindle版は238円。絶対にお買い得です。
一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法
- 作者: 熊谷正寿
- 出版社/メーカー: かんき出版
- 発売日: 2004/03/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さあ始めよう
もし、手帳を持っていたら取り出してください。
ToDoリスト(やることリスト)として、四角の行頭文字(□)を書きましょう。
そこに続けて
□熊谷正寿『一冊の手帳で夢は必ずかなう』を読む
…と書きましょう。
さらに後ろにカッコをつけて、〆切日を書きます。
□熊谷正寿『一冊の手帳で夢は必ずかなう』を読む(○月○日)
〆切がないとなかなか踏ん切りがつかないものです。必ず、〆切日を書くようにしましょう。
終わったら行頭の□にチェック(✓)をつけます。
ついでに他にやるべきことを思いついたら書き加えます(たとえば「□手帳を買う(●月●日)など)。
さあ、始めましょう。
先生よりスゴイ卒業生が出るのが良いゼミだ
良いゼミってそもそも何なのよ
ゼミをなんかのお店や工場だとおもえば、学生という原材料を仕入れて社会人として送り出す仕掛けに他ならないよね。
じゃあ、良いお店、良い工場ってのは、なにかって話なんだけど…
看板だけが立派なお店、工場長が有名な工場は、決して良いお店、良い工場ではないよね。
やっぱり、売られてる商品、出荷される製品がすばらしくて、評判であってこそ、そのお店や工場は良いものだっていえるでしょう。
だから、すばらしい卒業生、評判になる卒業生が出てこそ、そのゼミは良いゼミだって言えると思う。
目標を顕在化し自覚させる
私は、学部(文学部の日本文学専修でした)の時は、ゼミには入れなかった。
卒論も、2回ぐらい指導の先生と簡単な面談をしただけだった。
今、振り返ると、卒論はひどい内容で…私が採点する立場だったら、間違いなくC評価を付ける。論文と関係ない雑談・小ネタばっかりで、論文の体をなしてない、エッセイみたいな代物だったから…。
でも、指導の先生(佐々木雅發先生という、近代文学・漱石の研究者でした)は、優しくて「こういうテーマなら、もっと研究を続けて、大学院へ行かなくちゃね…」と励ましてくれた。
その時は留年を重ねてて、卒業できるかもわからないし、卒業後のことも何も決まってない状況だったけど、佐々木先生に言われた、大学院ってのが、何か、次の目標みたいな感じになっちゃった。全然現実味のない、目標というのもおこがましい大それた話だったけれど…。
冷静に考えてみれば、自分自身、学生を続けていたかった気持ちがどこかにあったんだと思う。そういう気持ちと、先生のアドバイスが重なって、大学院へ行くことが、自分の目標になったんだろう。
だから、先生ってのは、接している学生のまだ顕在化されていない思いをくみ取り、次の目標として自覚を持つ手伝いをすることが、できるかどうか、それが大切なのだと考える。
ゼミのその先へ
卒論のテーマとはだいぶ変わってしまったけれど、社会人をしばらく経験した後で、経営学の大学院に進んだ。仕事で映像制作のデジタル化・ネット化をやっていたのだけれど、上流部分の資金や企画の調達のデジタル化・ネット化ができないか、下流部分の配信や売買のデジタル化・ネット化ができないかというのが、進学の目的だった。
そこで、所属したのがネットビジネスや電子マネーの研究をしていた岩村充先生のゼミだった。岩村先生は、元日銀マンで、経済や金融の専門家だった。個人的に面白かったのが色々なものの「価値」を経済の視点から解き明かしてくれることだった。
たとえば、「就きたい仕事に就かない方が良い」という話では、「君が就きたい仕事は、人気があって大勢の人が就きたい、就きたいという仕事だろ。そうすると、自分はあんなこともできます、こんなこともできます。安い給料でやります、もっと安くてもやります…と、自分の安売り競争になってしまうだろ。本来の価値より自分を安く売ることになっちゃうから損だぞ」などという話は個人的には目から鱗が落ちた。
岩村先生は、「高校の先生は、良い高校の先生を育てることを目標として教壇に立っているわけではない。大学の先生も、良い大学の先生を育てることを目標とするわけでは必ずしもない。私も、自分自身と同類の人間を育てることを使命とは考えていない」とも言っていた。私も同感だ。
ドリルを買う人が欲しいのは穴であるように、ゼミで学ぶ内容そのものに価値があるのではなく、学んだ過程で得た経験や人間関係、学んだ内容を使ったその先にこそゼミの本当の価値があるのだと私は思っている。
みんなには時間という絶対的なアドバンテージがある
ゼミ生のみんなには、私にはない若さがある。これは、もう逆立ちしても私は敵わない。
若さ、すなわち、時間というものは、絶対的なアドバンテージだ。
一人一人、そのアドバンテージを活かして、目標を持ち、私ができないこと(個性と言い換えても良い)を学校の外でどんどん増やしていって欲しいなと思う。
結果はともかく、所属・出身のゼミ生みんなが、その気概を持つとき、ゼミの価値は高まり、良いゼミと言えるのだと思う。
ゼミにもイノベーションが必要だ
センセイのゼミって何やってるの?
って、よく聞かれます。
答えに困るんですよね…。
一応、「コンテンツ産業とプロデュース技法についてですよ」って答えるんですけれど、みんな腑に落ちてない顔をして聞いてます。
まぁ、わかるわ。
学科の他のゼミみたいに「テレビ番組作ってます」「新聞作ってます」っていうんならわかりやすいですよね。それに比べりゃ、「コンテンツ産業とプロデュース技法」って、何なんだよって感じですわ。
DEBu研っていう通称を使っていたこともありますね。
Digital デジタル
Entertainment エンターテインメント
Business ビジネス
…で、デブ研ね。ふくよかな体型(笑)の私にはピッタリの通称だと思って「これだ!」って感じだったけど…でも、全然浸透しなかったなぁ。
「センセイの無茶振りに応えるゼミ」って言ってた時もあるなぁ…。
その時は、「無茶を承知で入って来てるんだろ(ぐへへ)」と、頭の片隅のどこかにあったのか、気がつけば、無茶振りがエスカレートしてて、こりゃあいかんと、踏みとどまることにした。
「呑みゼミ」を自嘲的に言ってたこともあるけれど、ふと気がつけば、時代は「若者の酒離れ」だもんねー。あんまり、良い意味に取ってもらえないんで、これも自重することにした。
アニメやCGを作るゼミではないの?
うーん…センセイになって、初年度は、そんな気持ちもあったんだけど…そしたら、その年は、一人も、ゼミに入りたいって人がいなかったんだよね。
まぁ、実際、アニメやCGを作るのって、大変だし…週に一コマのゼミの時間だけでは、絶対無理で、作業は時間外にみっちりとやる必要がある。それだけの覚悟がある人は、ウチの学科には、ほとんどいないんだなぁ…ということを思い知ったんだよね。
実際、前の職場では、1〜3分ぐらいの映像をグループで作るのに、数ヶ月〜半年は掛かってたからなぁ…。
さらには、「ウチのゼミに来れば、アニメ業界、CG業界に就職できるよ」って軽々しく言えないのも、「アニメやCGを作るゼミです」とアピールしない理由のひとつ。
また、アニメやCGを作るには、絵描きだけじゃなくて、プロデューサーなり、ディレクターなり、音響・編集マンだったり、役者だったりが必要になるんだけど、「アニメ・CGを作るぞ」って言うと、基本的に絵描き志望の人にしか、その言葉は刺さらないでしょ?
極端な想定をすると、たとえば、「一人で、絵をコツコツ描いていたい」みたいな人だけでゼミのメンバーが揃っちゃうわけ。
そうすると、作るはずだった/作りたかったのに、逆に作れない…っていう矛盾した状態に陥るわけよ。
だから、まぁ、ゼミでアニメやCGを作りたかったら、基本は、多様なスタッフを集める…ってことが、一番大事。
ディレクタータイプ、プロデューサータイプ、役者タイプ、クリエータータイプ…みたいなのが揃って初めてアニメ・CGって(だけじゃなく、映像制作全般の話だけど…)作れるようになるんだなぁ。
…あ、もしかしたら、今の3年生の代は、いけるかも(笑)
だから、何やってるの?
まぁ、普通に、コンテンツ産業関係とプロデュース技法を勉強しながら、実践してんだけど…そんな説明じゃ納得してくれないんだろうなぁ。
就活に行ったゼミ生が、エントリーシートで「ゼミ活動」の欄に何を書くかに困ったり、面接で「ゼミではどんなことをやってるの?」と聞かれてどう答えるか迷ったり…ってのは、ゼミ生からたまに相談される。
その度に、ちょっと、私も申し訳ないような気持ちになったのよ、正直。
下手したら、ゼミ外の人だけでなく、現役ゼミ生、そして、卒業生も何をやったゼミだっけなぁ…って思うだろうね(笑)。
まぁ、
辛いことは時間が経つと、克明に覚えてるけど辛い感情は消える、
楽しかったことは時間が経つと、楽しかった感情は残ってるけど、ぼんやりとしか覚えてない
…みたいになるのが、人間の記憶のメカニズムだから…
卒業生の方々には「何やってたか思い出せないわー」というぐらいが健全なゼミだと思うけど…。
いやいや、ひょっとしたら、自分自身がゼミの指針を見失ってるかもしれない(笑…って笑い事じゃないや)。
そんなこんなで、とりあえず
思ってることをもっとみんなに伝える努力をしなきゃ…って考え直したんだ。
同じことを同じようにやってたら、同じ結果になるだけだからねぇ…。
「コンテンツ産業」の部分は、時事ニュース的な側面が強いから、書き残す価値があるだろうし…
「技法」の部分でも、ソフトの使い方やなんかは、どこかにまとまっていた方が、みんなの使い方のヒントになるだろうから…
そして何より、ゼミのみんなとの対話の糸口になることが大事だと思ってさ。
TwitterもFacebookもあるけれど、色んなルートがあるに越したことはないでしょう。
最近読んだある本で「愛情とは理解し、応援すること」という一節があって、「これはー」っと、ビビッときちゃった。いやー、俺、自分の奧さんのこともみんなのことも、理解が足りないなーって、反省しちゃったのよ。基本的に応援する気持ちはあるんだけどねー。「理解がない」というのは、無関心と同義だもんね。「愛情の反対は怒り・憎悪ではなく無関心だ」ともよく言われるじゃない。
もっとみんなのことを知らなくちゃ、知ろうとしなくちゃいかんよね。
飲み会で話をするってのもあるけどね…気がつけば、特定の人とはあまり話ができてなかったり、恋バナ(下ネタ)中心で(笑)真面目な話はできてなかったりという問題もあったからね。
だから、まぁ、みんなのことを知ろうと思うなら、自分のことも伝えなきゃね。
プライベートのことだけじゃなくて、少し堅めの込み入ったネタも伝えなきゃ…でもって、それをみんなに…って思ったら、同じ話を何回もするより、Blogを書いて読んでもらうのが良いのかなぁ…という結論に達しましたー。
夏休みに入って、みんなとの交流が減る分、ちまちまと書いていきますわ。
そんなこんなで〜。